底冷えするようになってきた。でも今年はファンヒーターなしで乗り切れそうな感じです。猫暖房は、寒くなったらしゅっと移動するのでイマイチ頼りにならない。主な機能は外見の愛らしさだけっていう。燃費も悪いし。
コタツで眠ってしまい、強烈に嫌な夢を見る。昔の嫌な出来事が連続して登場する、駄目走馬灯みたいな夢だった。
夢の最後で知人に電話をすると、彼女の親が電話にでたので、名前をいってとりついでもらう。しばらく待つが一向に相手が出ない。やがて受話器から『もしもし?』という声がきこえる。それは知人でも知人の母親でもない中年の女性の声で、その声が『もしもし……あなたは間違っています……あなたが電話をかけている場所……この場所は……』とやけに平坦な声でいい、とても怖いのだけれど受話器が頬と手に貼りついてしまっているので電話は切れない。
というところで目がさめた。
かなり不快というか、「何か悪いことが起こるんじゃないだろうか」という変な感覚が消えないまま、買い物に行った。
商店街の福引で、二等が当たりましたよというオチ。ホットカーペットほかほかー。
このことわざ、最初に「転んだあとに」って言葉が省略されてることに気づいた。それとも二つ目と三つ目の不幸のせいで、最初の不幸なんかどーでもよくなってしまうという意味を裏に秘めているのだろうか。
また帰ってこない……。待ちつかれてしょんぼり。家猫にしようと努力を続けているのだけれど、失敗しすぎです。脱走を阻み続けていたら、その反動か一度出たら帰宅しなくなる。野生の血との戦いは続く。
ていうか帰ってきておくれ。はらはらする。
NHKスペシャルの「ローマ帝国」に青柳正規教授が出演していた。
古代ローマ史に関する書籍を紐解けばあらゆる場所でお名前を拝見する、そういう教授です。文章はあちこちでざくざくと読んでいたのだけれど、顔を見るのは初めてで、テレビの中でポンペイの町を説明しながら案内する教授の姿を見ているうちに、物凄く不思議な気分になる。不思議っていうか、うわあ。
先日やはりテレビで唐沢俊一氏が話しているのをきいて、著作から得ていたイメージと全然違う流暢な話し方にうわーとなったのですが、それとはまったく違う種類のうわあ。そもそも青柳教授に関してはこういう人だという予想もなかったのだから、イメージとの食い違いによる衝撃ではない。
あえて言葉にするなら「書物の中の人がテレビの中にいる」という感想です。何年か前にダイ・バーノンのフィルムを見たとき、「奇術史の中の人が動いてるよ。なんということだ」と思ったのとよく似ている。
あらゆるプロフェッサーがテレビに映ると、妙な気分になるのかもです。
青柳教授は大学のゼミの教授と似た雰囲気の持ち主でした。つまり白髪でダンディ。ダンディって単語は自分でもどうかと思うんだけど、それ以外に形容できないからしかたがない。
日記の表示復活。ありがとう。とここでお礼。つっこみを表示できるよう戻しておきました。
ってついつい言ってしまう口癖。
日曜日に近所の公園を通りかかったら、誘拐殺人事件の余波か、子供のつきそいで来ている大人の数が尋常ではなかった。最初なにかイベントでもあるのかと思ったくらいです。
お母さんたちはグループになって喋ってるからいいし、子供と一対一でキャッチボールとかしちゃったりしてるお父さんも問題ない。子供が自分の友達と遊んでて、やることもなく、暇つぶしの道具を一切持たずに来ていたお父さんのなんと悲しいことか。
いや、普段なら多分、お父さんはベンチで座ってぼんやり時間を潰せると思うんだけど、その日はとにかく大人の数が多すぎた。公園中に人が溢れている。ベンチはお母さんがたに占領されている。そのへんにうんこ座りをしようにも、うんこ座りにほどよいスペースというのが存在しない。
公園の端にぼへーと突っ立ってる若いお父さんは、遊びの輪に入れず困ってる子供のようでした。なんということだ。自分が変質者と間違われないか微妙に心配しているのも目の動きでわかった。本当になんということだ。
せっかくの日曜日だったのにね。と、ちょっとこっちも悲しくなって、足早に通り過ぎたのでした。